
今年度最大のヒット作(日本では興行的には失敗したようですが)、「ダークナイト」の4回目です。この日がダークナイト上映最終日となる渋谷シネパレスで観賞しました。「もうあと1.5ヶ月でBlu-ray版・DVD版の発売だし、さすがにそれほど混んでないだろう」と思っていたのですが、甘かったです。完全に満席でした。ちゃんとお昼に整理券を取りに行っておいて良かったです。(^^;
「これで最後か…」と思って9/26に3回目に行ったにも関わらず、今回また行ってしまったのにはワケがあります。それは宮台真司のこの記事を読んでしまった、ということでした。宮台真司の著作を最初に読んだものは12〜13年前、「終わりなき日常を生きろ」で、その切れ味鋭い分析と文体にシビレてしまい、その後彼の著作はほぼ必ず購入して読むようにしています。さすがに最近は、「あ、これ以前にも書いてた(言ってた)な」というものが多くなってきていますが、それはまぁ彼が「世直し」を目的に執筆活動をしているので、自らの主張を世の中に繰り返し露出させる必要があるということなのかと思います。
さて宮台氏は記事中で、ダークナイトおよびジョーカーについて彼なりの分析を試みているのですが、私は「なるほど、自分がこんなにダークナイトに魅力を感じるその理由はこういうことだったのか」と思う一方、「そうだっけ?少なくともそうは感じなかった記憶が?」と思う部分もあって、そこで浮かび上がってきた様々な疑問を確認すべく、まだ上映している映画館を探して観賞した、というわけです。

まず、前半のミメーシスによる悪の感染という部分は、私も感じていたことなので完全に同意というか、「文章化してくれただけ」という感じです。まぁ、それを起こすヒースの演技はやはりスゴイとしか言いようがないわけですが。
私がこの記事で一番「なるほど」と思ったのは、「逆神義論」のくだりです。(以下『』内は引用)
『説明されるべきは反秩序ではなくむしろ秩序である』
『説明されるべきは悪ではなくむしろ善である』
ダークナイトの(ジョーカーの視点からの)世界観はまさにこれなんですね。社会が秩序をもって成立しているのはむしろ奇跡に近い。じゃあ現在なぜ成立しちゃっているかというと、「そのほうがトクだ」という意識の伝達が、人間の行動を規定しているから。言うなれば人間はみんな(これまた宮台流に言えば)「寄らば大樹の陰」なヘタレだから。ジョーカーはそんな思考停止したヘタレに対して「お前らがより所にしている信頼なんてものは、幻想にすぎない。さぁ、その幻想がウソだと気付いたらどうなるかな?HAHAHA..」という問い掛けを喉元に突きつけてくる。なるほど、私が「ダークナイト」を観るたびに受ける形容しがたい衝撃や違和感と、ジョーカーへの理由の分からない(分からなかった)共感は、ここにその理由があったんだと明確に分かりました。うん、これだよ、これ。(^^;

その後も宮台節は続きます。二隻のフェリーのシーンについて彼は、
『むしろ私たちは、ジョーカーが提示する二者択一のどれもが、私たちが両立可能だと思っている崇高な価値〜愛と正義、法と正義、正義と人命〜が、「普通は両立可能ではない」ことを示すデモンストレーションになっている事実に、注目する必要があるだろう。 』
と指摘してます。うーん、私はあれはジョーカーがバットマンに突きつけた(デントとレイチェルの2人を同時に死の危機に陥れたシーンと同種の)無理難題の1つで、乗員たちの軌跡の選択によってそれを回避させることによって「やはりほとんどの人間は真に悪にはなりきれないんだ」という、作品の中で唯一ヒューマニズムの存在を主張しているシーンかなと能天気に考えていたのですが..。確かにそう考えないと、「秩序の存在は決して自明ではない。むしろ異常事態なのだ。そんな幻想にすがるなヘタレどもよ」というジョーカーの行動パターンから外れることになってしまいますね。(単なるバットマンとの遊びの1つになってしまう)

ここで宮台は、
『911以降の米国〜〜私のいう「頭の悪いネオコン」〜〜はフリークスを公然化してしまった。(中略)私たちの多くが「自由と合法は両立しない」など崇高な価値同士の両立不能に気づいている。』
と述べ、現在の「世界/社会」と結びつけようとしています。ただ、私がここで連想したのは、秋葉原殺傷事件等のような身近な事件のほうでした。「一流大学・一流企業に入れば幸せになれる」「勉強すれば将来は安泰」などという物言いが幻想にすぎないことは自明ですが、しかしながら未だにそれを信じてやってきた(信じている親・教師に育てられた)人はいるわけで、その事実をジョーカーならぬ実社会によって突きつけられる人たち。こちらも十分に『寓意的』だなと思いますね。
そして今回私が最も注意して観賞したのは、前半部分でのデントの描かれ方でした。デントが中盤の事件を堺にトゥーフェイスに変貌していく設定は、この映画の最重要部分の一つだと思うのですが、今までの3回の視聴ではジョーカーの迫力と終盤の怒濤のストーリー展開のほうに目を奪われてしまい、特に「光の騎士」っぷりの部分が印象に残っていませんでした。しかし…やはり個人的には、デントの正義感ぶりはちょっと表現不足(というより、他のスゴイ表現にかき消されている?)気がしますねぇ。マフィアを一網打尽にするシーンや裁判のシーンもありますけど、おそらく「4人での会食シーン」での会話が、デントの「光」の部分を最も象徴しているところなんだろうなと思います。うーん、しかしちょっと弱いかなぁ..。その後の身代わりになるシーンも象徴的ですけど、あれはジョーカーに言わせれば「綿密な計画を立てる策謀家」な部分なわけですし。
とまぁ、非常に有意義な4回目の観賞でした。思えば、1回目は中盤以降のスピーディな展開とジョーカーのカッコよさに身震いし、2回目は友人と行ったのでその反応が気になってあまり集中できず、3回目はもうストーリーを知っていることもあって「燃えるシーン」だけを心待ちにしてしまい…という感じだったかなと思います。まぁそれでも十分すぎるほどにシビレるのですが、しかしこの4回目は、宮台氏の記事のおかげで、いろいろなテーマを持って臨むことができましたね。

記事の最後に宮台氏は、
『そこに私は、(中略)ヘブライズムとヘレニズムの「野合」から生まれた「西洋的なるもの」の反復を、見ずにいられない。』
と〆ていますが、(まぁ単なる表現上のことだとは思いますが)本当に「見ずにはいられない。」のだとするならば、やはり彼はすごすぎる感性・知性の持ち主だと思うと同時に、「アホになって見るモード」がなくて「〜にはいられない」のならば、それはやや不幸なのかも、とか思ってしまいました。
(追記)
「ダークナイト」のIMAX版の上映を嘆願する署名運動がこちらで行われています。ぜひ署名を!
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