1995年のアメリカ映画、「告発」(監督:マーク・ロッコ)です。DVDを借りて観賞しました。
もうとにかく、身震いするようなシーンの連続でシビレ倒しました。冒頭から中盤までの虐待シーンの凄まじさ、裁判における頭脳戦の面白さと緊張感、その後に訪れる大きなカタルシスと哀しみ…。2時間、一瞬たりとも目をそらせない映画なんて、久しぶりに観た気がします。
これまで、アルカトラズ島の映画と言えば「ザ・ロック」だと思っていましたが、完全に考えが変わってしまいましたね。もちろん、「ザ・ロック」も大好きなのですが、この作品のインパクトにはちょっと敵いそうにありません。
地下牢に3年間も収監され、さらにはその間に「(自殺も含め)死ななかったことが不思議でならないほどの」虐待を受け続け、ようやく開放されたその日に「自分をハメた男」を半ば放心状態で殺害してしまうヘンリー。皮肉なことに、殺人事件を犯すことによって、(裁判のために)ヘンリーはようやく生き地獄から解放されることになり、そしてやがては彼の弁護士ジェームズによって、長年に渡って行われてきたアルカトラズ刑務所での残虐行為の告発につながっていく…。
しかし、この映画を観て改めて感じるのは、「悪意を持った悪」なんかよりも「組織防衛のために行われる悪」のほうがずっと大きなことがやれてしまうものだ、ということです。とにかく、罪の意識を感じることなく「自分は(組織防衛という)正義のためにやっているんだ」と胸を張れてしまうところが厄介です。取り調べの可視化に徹底的に反対している検察(さて何故でしょう?w)とか、記者クラブメディアとか、政権交替したら「どこに陳情すれば?」状態になっている農協とか、あるいは合格点に達していた生徒を見た目で不合格にしていた神奈川県立神田高校の校長(まぁ、他の生徒のためというのは感情としては分かりますが、それならば入試制度を面接最重視の得点配分に改正すれば良いだけ)とか。個人の欲望ならばできなかったであろう「とんでもないこと」をやれてしまうのだから、組織防衛心理とは恐ろしいものです。かくいう私も小さな組織を運営しているわけですが、そういう事態にならぬよう、絶えず自己チェックせねばと思ったりしています。
それにしてもケヴィン・ベーコン。「狼の死刑宣告」を観たあとだと、ヘンリー役をやってるのが彼だとはしばらく気付きませんでした。まぁ、私の「外国人の顔判定能力の低さ」は最近になって痛感しているところなのですが。(NBA選手はほとんど外さずに顔と名前が一致するのですが、アレは顔判定じゃなくて動き判定しているからと思われます)長年の虐待から解放されたばかりの脅えきったヘンリーを演じる表情からは、「狼の〜」のポスターに描かれた主人公と同一人物とは思えなくて…。いや、本当にシビレる演技でした。
しかし、「オールド・ボーイ」しかり、「モンテ・クリスト伯」しかり、「ショーシャンクの空に」しかり、どうも私は「不当に長期間捕らわれた者の物語」に惹かれる傾向にあるようです。まぁ、その後に大きなカタルシス(=ざまぁみろ感)を得られることが予見されるってこともあるんでしょうけれど、やはり「極限状態になったとき、人間はどうなるのか」に興味を持ってしまうんでしょうね。思えば人は古来から、断食修業をしてみたり、何十キロも走ってみたり、水中で極限まで息を止めてみたりと、肉体を極限に追い込むことをしてきたわけで、「その先に何があるのか」には本能的に興味を抱いてしまうのかも知れません。そう考えると、人間には「ドM」な人たちが古来からいたということになりますし、それに興味を持ってしまう私もそのケがあるのかも知れません。(^^;
個人的満足度:★★★★★
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